ページトップ

紋
COLUMN

【和尚の問わず語り】vol.1/7

2020.04.13

『遅い春が咲く』

私の住む東北山形の北部は大変に雪の深いところです。

遅い春は4月に入ってもなかなか顔を見せてはくれません。

ようやく春の風が吹き渡る下旬、残雪の冬枯れの景色が

一変するとき、うめ、水仙、こぶし、モクレン、さくら、椿などの花々が

いっぺんに色好き、一気に咲きそろうのです。

雪国に住む者には、それはそれは待ち遠しくこころウキウキする季節なのです。

「百花、春至って誰がために開く」という言葉があります。

咲きそろう花々は誰のために咲くのでしょうか。

私たちに「きれいだね」と褒めてもらうためでしょうか。

それとも蜂や蝶を集めるためでしょうか。

花は決して評価を期待したり、思惑を抱いて咲いてくれるのではありません。

花はただ花本来が備わった本領、つまり本来の性質、力のままに

時節と因縁を待って開花するだけなのです。

瑩山禅師様は、「人は人それぞれに個性や才能が備わっている、

それは他者のためのものだはなく、その人それぞれに与えられた

かけがえのない性質であり力であるから、その本来備わった性質、

力を発揮する努力を怠ってはならない」と示されています。

日頃、私たちは何かにつまずけば、つまずいた原因を他者に押し付け、

苦しくなると自分のことしか考えられなくなってしまいます。

あれやこれやと考えれば考えるほど、視野がどんどん狭くなって

苦悩に深く落ち込んで行くのです。

そっと満開の花を眺めてみてはどうでしょう。

他者と比べてばかりいる自分、思い悩んでばかりいる自分に

気づくはずです。

自分に備わる本領は、きっと出口がいっぱいあることに気づかせてくれるはずです。

思い悩む自分をリセットしてみてはどうでしょう。

なんの計らいもなく自然に咲く、ただ精一杯に咲きそろう花々のように、

私たちも自分の本領に気づくことのできる日送りに心がけ、

精進して行きたいものです。

今私は、新型コロナウイルス感染拡大に危機感を感じながらも

咲き揃う花々を見てホットする自分に気づき、改めて少し安心する

今日この頃です。

本当の春はいつ来るのでしょうか。

 

関連するタグで記事を検索

プロフィール
住職 長峰広道
昭和34年8月24日に新庄市に生まれました。駒澤大学仏教学部禅学科を卒業後、福井県にある大本山 永平寺や横浜の總持寺での修行を経て、平成11年から20年間、福田院の住職をしています。
福田院 Facebook