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COLUMN

【和尚の問わず語り】vol.1/9 『納めの桜』

2020.07.24

皆さんは今年、桜を見ましたか。

コロナ禍により今年の春、桜を見た人は全体の約6割だそうです。

昔、友人から頂戴した本に次のような歌が書いてありました。

「今生の納めの桜見る人も あるべしおのれと誰か思はむ」

歌人 蒔田さくら子さんの歌です。

今見入ってる桜が今生の見納めの桜となる人も世の中には沢山いるだろう。

病気であったり、事故であったり。

しかしそれを自分のことと思う人は一人もいないということを歌ったものです。

そうですよね、きれいに咲き誇った桜を見て、普通なら今生の見納めとは誰も

思はないでしょう。しかしもしそれが今生の見納めの桜だとしたならば、

自分の目にどのように映るか、心に感ずるか、考えてみなさいと言っているのです。

私は数年前大病を患いました。桜の季節、今生の見納めになるのかと見た桜は、

それはそれは見事な桜でした。今まで見た桜のなかで一番感動的で、愛おしくて

思わずごつごつした桜の老木を抱きしめていました。自然に涙が流れました。

これが最後かと見るつくしやふきのとうでも同じように愛おしくて愛おしくて

たまらないことでしょう。

これが桜やつくしやふきのとうじゃ無くて家族の顔だったらどうでしょうか。

普通は家族の顔を今生の見納めと思って見ることはないでしょう。

見納めと思って見る家族の顔を思うとき、一番身近な人のおかげを改めて感ぜずには

いられませんでした。

明日という保証のない「自分のいのち」と気づかされるとき、一番身近な人のおかげを

思うとき、一日一日を大切に過ごさせて頂くことができるのではないでしょうか。

人はもっともっとやさしく生きていけるはずだと思い気づかされました。

 

 

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プロフィール
住職 長峰広道
昭和34年8月24日に新庄市に生まれました。駒澤大学仏教学部禅学科を卒業後、福井県にある大本山 永平寺や横浜の總持寺での修行を経て、平成11年から20年間、福田院の住職をしています。
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