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COLUMN

【和尚の問わず語り】vol.2/2「心と行い」

2021.11.14

私たちはとかく行動と心を別のものとしてとらえがちです。

「普段は乱暴そうに見えるけど、本当は心のやさしい人よ」といいますが、その本当の心は何を見て判断するのでしょうか。それはその人がある人に対して、ある場面においてやさしい行動をとるからでしよう。

つまり私たちはその人の行動を通してのみ、やさしさを判断出来るのです。行動そのものをやさしさというのであり、それ以外に別の心があるわけではないのです。

 

昔、ある孝行息子が足腰が弱ってしまった父親を背負って、お殿様のお通りを拝ませていると、それがお殿様の目にとまって「感心な若者じゃ、褒美をつかわせ」ということになり、沢山の褒美を頂戴しました。

するとその話を聞いた親不孝で評判の男が「あいつは上手いことやりやがった。俺もマネをして褒美にありつこう」とお殿様のお通りに、嫌がる父親を無理やり背負って道端で待っていました。

ところがお側つきの家来が、この男が親不孝者と知っていて「あのものは褒美欲しさにあのようなマネをしております。けしからん奴でございます」とお殿様に申し上げたのでした。するとお殿様はおとがめをするかと思いきや「よしよし噓でもよいではないか、褒美をつかわせ。親不孝者が噓でも孝行のマネをするとは、感心な奴じゃ。ほめてつかわせ」と言われたのでした。

その後このお殿様の領内では、褒美欲しさに親孝行のマネが流行りだしました。するとそれがウソでもマネでも親孝行の行いをされると年寄りたちは心から喜ぶようになり、その喜ぶ姿を見た若者たちは心から親を大切にするようになったというお話です。

 

『善行を為す悪人は善人であり 悪行を為す善人は悪人である』

 

 

 

 

プロフィール
住職 長峰広道
昭和34年8月24日に新庄市に生まれました。駒澤大学仏教学部禅学科を卒業後、福井県にある大本山 永平寺や横浜の總持寺での修行を経て、平成11年から20年間、福田院の住職をしています。
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