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COLUMN

【和尚の問わず語り】vol.1/5 『めぐりあい』

2020.03.09

越後の国の良寛さんが、玉島の円通寺というお寺で修行しているとき、

そのお寺に仙桂さんという修行僧がおりました。
仙桂さんは一言もしゃべらず、身なりをかまうこともなく、

そうかと言ってお経を唱えるでもなければ、坐禅することもなく、

ただ毎日黙々と畑を耕し野菜を上手に作っては寺に来る人たちに施しているのでした。

その頃毎日修行に励む良寛さんには、同じお寺に居ながらも仙桂さんのことが全く眼に入りませんでした。
そして時が過ぎ、お師匠様から悟りの境涯を認められた良寛さんは、

ふるさとの越後の国出雲崎へ帰るのですが、ある日お経を読んでいるとき、

突然ハッと円通寺にいた仙桂さんの存在に気づくのです。

「彼こそひたすら自分の分を守り、人の幸せを優先させ、黙々と大地に向かって修行していたのだ」と悟るのです。

「あの頃毎日一緒に居ながら、真に佛の道を志す仙桂さんに何故気ずかなかったのだろう。」と、

良寛さんは“めぐりあい”に気がつかなかったことを大変後悔しました。

人生は“めぐりあい”の連続だと言われます。

「もしあの時あの人に出会っていなかったら・・・」とか

「あの時あんなことさえなかったら・・・」と言うように、

私たちの周りにはさまざまな“めぐりあい”があり、

その不思議な“めぐりあい”のなかで生かされています。

 

“めぐりあい”は仏教でいう“緣”です。

さまざまな“緣”によって生かされているはずの私たちなのに、誰の世話にもなっていないと

、自分ひとりで生きていると思い込んでしまっては、

一度限りの人生をウカウカと過ごすことになりかねません。

 

テレビや新聞書物の中にも、仕事や遊びの中にも、人との出会いの中にも、

私たちを支え生かさせていただく“緣”は無数です。
知っている人、知らない人といった条件や、好き嫌いの区別を越え、善し悪しにかかわらず、

そのひとつひとつの“めぐりあい”をおろそかにせず、自分自身で受け止め、

そして大切にして行くこと、そんな日々の歩みこそお釈迦様の教える修行であり、

人間としての生き方であると思います。

 

どうぞ“めぐりあい”を大切に

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プロフィール
住職 長峰広道
昭和34年8月24日に新庄市に生まれました。駒澤大学仏教学部禅学科を卒業後、福井県にある大本山 永平寺や横浜の總持寺での修行を経て、平成11年から20年間、福田院の住職をしています。
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